「このレジ、取り消し処理が多くないですか?」
パート従業員による、この一言で事件は発覚しました。レジ操作を誤った時に会計を取り消す処理を悪用し、浮いた金額をある従業員が着服していたのです。調査の結果、総額300万円の被害が判明しました。
これは筆者がスーパーマーケットの運営会社に在籍していた時に、実際に起こった出来事です。
この不祥事に対する「責任の取らせかた」に私は疑問を持ち、一気に会社への信頼が薄れてしまいました。
気づいたのはあるパート従業員
当時、私は複数のスーパーマーケットを運営する企業の人事責任者でした。従業員数はパート・アルバイトを含め従業員は約300名。ある日、ベテラン社員が店長を務める店舗から「従業員におかしな動きがあるので、店にきてほしい」との連絡があったのです。3月中旬の午前中の出来事でした。
開店直後はお客様が多く、店長も接客や商品補充に追われて忙しくしています。そのため、普段は、午前中に店長から連絡があるのは珍しいことです。さらに、その店長は複数の店舗を統括しており、大抵のことは自分で解決できる社員でした。よほどのことがない限り、私を呼ぶことはありません。そのような店長からの呼び出しだったので「ただ事ではない」と感じ店舗に向かいました。
店舗へ到着し、事務所へ入ると店長とパート従業員Aさんがいました。2人は立ったままで、ただならぬ雰囲気が漂っています。その様子を見て、私はAさんが何か問題を起こしたのではないかと思いました。Aさんは40代の女性で、開店から夕方までの勤務です。アルバイトの接客指導や、レジ操作を教える立場のパートリーダーもまかせていました。
「何があったの?」と店長に尋ねると「実は、Aさんがレジが不正に操作されていることに気づいたので、対応についてご相談しようと思います」と言ったのです。「さっき話してくれたことをもう一度話して」と店長に言われ、Aさんは私に詳しい内容を話し始めます。
レジのお金はこうして盗まれる
「このレジ、取り消し処理が多くないですか?」
Aさんはレジの取引履歴を見せてくれました。よく見ると、異常なほど「会計の取り消し」が多くされています。
会計の取り消しとは、お客様がレジで会計を済ませ「やっぱり、この商品は買いません」と言われた時に、商品を返品して代金をお返しする処理のことです。通常はほとんど発生しません。
今回、Aさんが会計の取り消し処理を間違ってしまい、店長に相談するために取引履歴を印刷したことで気づいたようです。レジは交代で1台に対して複数名が入るため「誰がレジ操作を行ったか」がわかるようになっています。
Aさんの前にレジに入っていたのは、Bさんであることがデータ上で特定できました。取引履歴を見てみると、Bさんがレジに入っている時は、会計取り消し処理が頻繁になされていたのです。
Bさんは40代の女性で、勤務は夕方から閉店まで。夜のパートリーダーをまかせています。この店舗では、午前はAさん、午後はBさんがパートリーダーとして店長をサポートしてくれていました。
念の為に、Bさんがレジに入った日の取引履歴を1週間ほどさかのぼって調べました。すると、毎日のように取り消し処理がされていることが判明したのです。商品が本当に返品されていれば、取引自体に問題はありません。しかし、返品されていないとなると「着服」です。
着服は立証が難しい
Bさんがレジに入っている時間の防犯カメラの映像を、店長と私で見返しました。やはり、予想通り返品された形跡はありません。さらに、映像には犯行の様子がしっかりと写っていたのです。ただ、防犯カメラの映像は過去1週間分しか保存されず、過去の映像は上書きされてしまうため、以前の犯行は立証できません。
「おそらく、もっとあるはずだ」
そう思った私は、過去にBさんがレジに入った日の取引履歴を全て調べることにしました。調査が終わるまで誰にも話さないよう店長に口止めをし、3日かけて全ての履歴を調べたのです。その結果、過去3年間に渡り、約300万円もの売上が着服されていたことが判明しました。
調査をしている間もBさんはレジに入っていましたが、映像と取引履歴を確認すると、不正な操作を続けています。
穏便に済ませるか通報するか
Bさんは夜間の勤務だったため、出社してくるのを待っている間に調べた資料をお店の会議室に運び込んでおきました。「知らない」と言われた時に証拠として見せるためです。その日も、Bさんはいつものように「おはようございます」と明るい笑顔で出社してきました。
出社してきたBさんに「聞きたいことがある」と伝え、会議室に来てもらい事情聴取をすることに。私と店長の2人でBさんを問い詰めると、Bさんは不正なレジ操作を認め、謝罪しました。「家族に知られたくないので、警察には連絡しないでほしい」と泣きながら訴えるBさん。
Bさんの将来を考えれば警察沙汰にせず、穏便に済ませる選択もありました。しかし、売上金の着服は犯罪です。会社の方針で「万引きなどの犯罪行為は必ず警察に通報すること」と決まっていたため、店長と相談して通報することにしました。すぐに警察を呼び、状況を説明して被害届を提出したのです。
閉店間際だったため、詳しい話は警察署でということになり、身柄をあずけました。Bさんの顔が青ざめ、体が震えていた姿を今でも覚えています。
盗まれたお金を取り戻せ
翌日、店長と2人で社長に一連の出来事を伝えに行きました。すると社長は「警察に通報した判断は間違っていないが、失った売上はどうなる?返してもらう約束はしたのか?」と問いただしたのです。その場で黙り込む店長と私。
労をねぎわれるかと思っていましたが、想定外の答えでした。「なんとしても盗まれたお金を回収しろ」と社長に命じられ、困った私は弁護士に相談します。しかし、弁護士からは「着服された売上の回収は難しい」という回答が返ってきたのです。
回収が難しい理由として、以下の説明がありました。
- 被害届を提出したので裁判になり、本人へこれ以上連絡できない
- 入社時に身元保証書を提出させていないため、親族にも弁済義務はない
つまり、本人への話ができず、家族に肩代わりしてもらうこともできないため、これ以上はどうしようもありませんでした。回収が難しいことを社長に伝えると「今回の売上損失はお前のミスだ」と叱られ、以下のような理由で始末書を書かされる羽目になったのです。
- 警察に通報しなければ、回収できる可能性もあった
- 店舗のリスク管理が欠如しているのは人事の指導不足
- 危機管理マニュアルを作成していない
- そもそも私が面接して採用した人物だった
- 不正防止対策ができていなかった
- 身元保証書を提出させていない
その後は、定期的に抜き打ちでチェックすることや、監視体制を強化したため、不正はありませんでした。しかし、正義感で起こした行動が評価されず、会社に対して違和感だけが残った後味の悪い出来事です。
対策だけでなく企業文化の見直しも必要
会社の利益を守るため、不正に目を光らせることは重要です。リスク管理や対策をしていなかったために、会社に対して大きな損害を与えてしまったことは人事にも責任があります。
しかし、今回の出来事では、会社の対応に違和感がありました。従業員の不正を見逃すことなく適切に対処したにもかかわらず、正当な評価を受けられなかったことは残念でなりません。
従業員に落ち度があった場合は厳しく対処すべきですが、同時に行動も尊重する企業風土をつくることも重要です。今回、Bさんに対する対処は適切だったと思っていますが、対処したことに対する気持ちの配慮が社長には欠けていたように感じます。目先のお金に目を奪われ、対処した人の行動を評価できていませんでした。
もし、今回の処分への不満で店長や私が退職することになれば、会社は「お金」を生んでくれる「人」という大きな財産を失います。社員を尊重することで倫理観や会社への愛着が生まれ、企業文化が作られるのです。こうした文化が、結果的に不正防止にもつながります。対策も重要ですが、企業文化の見直しも不可欠だと考えさせられた出来事でした。
人事担当者は、健全な企業文化を形成する役割もになっています。参考にしてもらえれば幸いです。
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